オープン化で世界を変える・日本が変わる

ウェブで学ぶ ――オープンエデュケーションと知の革命 (ちくま新書)

ウェブで学ぶ ――オープンエデュケーションと知の革命 (ちくま新書)

言語による知の遮断があってはならない。本書では日本で日本語だけで情報を集めているのでは、ほとんど得ることの出来ない海外での流れ、特にエデュケーション、ナレッジ分野に対し気づきを与え、今後どのように立ち振る舞い、新サービスを考え、インターネットというものを利用するべきなのかを考えさせる良書だ。
過去に話題となったMITが講義をインターネット上に公開し、世界中の誰もが一流教師の授業を受け、知識を得ることができるようになったが、その内容から本書は始まる。このオープンエデュケーション分野の長く携わった飯吉氏とアメリベンチャーキャピタル業界に詳しい梅田氏が組み合わさったからこそ生まれた書で、両者の得意とする分野が良いシナジーを生んでいます。
海外ではオープンエデュケーションが進み、インターネットで学び分からないことをリアルの学校で聞くといった事例も書かれています。講義をオープン化することは講義の補助にはなっても、それが全てとはなり得ない。それは講義だけではなく実際には仲間同士のディベートがあったりと同一の講義仲間の間におけるコミュニケーションが生まれているわけだ。一部Facebook上に同様の仲間を作り定期的に集まることで同様の事ができるようになって来てはいる。MITに入学していない仲間同士、同業種の仲間同士の意見交換や議論が可能になってきている。その点では日本の授業でディベートが行われることもないし、まだまだ日本で同様のオープン化が行われた場合は本当の授業の代わりになってしまうのではないか?と考えてしまう。日本の教育がどれだけ受身であり競争が働いていないか。。。それが問題だ。また、米国事例を見るとオープン化することで良い人材をさらに集めていると考えられるのではないか。講義が完全にインターネットにとって替わられるのではなく、オープンエデュケーションが一種のマーケティングとなり更に優秀な人材を集めている。そんな世界が構築され始めているのだ。
また、インターネット上の学位がリアルの大学でも認められるようになりつつあり、オープンエデュケーションでの学校から編入することにより、学費を安く抑えるといったことも可能になる。日本ではどうだろう。まだまだ名前だけで学位をくれるような危ない学校の話を聞くか、サイバー大学くらいしかないのだろう。サイバー大学からの編入はまだ無理ではないかと思うし、如何に日本がエデュケーション分野で立ち遅れているか、本書を読むことで認識するだろう。
エデュケーション分野だけではなく、ナレッジ分野に関しても同様な事が言えるが、この分野については日本でも勉強会や朝活が行われ始めているので、少しずつ下地は出来ているのではないだろうか。やはり文字だけ読む独学では得られない五感を使った学びがリアルに存在する。文字では記憶出来ないものがリアルには存在する。その意味においてインターネット内のオープンナレッジだけで獲得出来ない知識があるだろう。またUstreamTwitterを利用することで、リアルに参加しなくとも一緒に議論することが出来たり、逆に配信している側も知識や議論をより深めることが出来、とても有益なものとなることは間違いない。配信している側は話す側に回っても、ネット経由で見ている人がすぐにネットで調べてリンクを送信してくれる。それは一種の外部記憶をリアルタイムで獲得できる瞬間である。オープン化することがどれだけメリットをもたらすかを再度認識せざるを得ない。
Googleが音声検索を提供していることから考えると、英語という言語そのものが壁となる時代もそれほど長くは続かないと考えられる。それはリアルタイムに他言語に翻訳され、知識におけるクロスボーダーが始まると考えて間違いないだろう。ただし、今の時点では海外からの情報は誰かが日本語訳するのを待つしかない状態だし、その状態では海外で進む流れを肌で感じることが出来ない。それは非常に問題だ。Grouponのように海外で大きな話題で、かつ金になると確信された時に報道されていたのでは、あまりに情報が少なすぎる。その事例一つで海外の流れを掴んだと思っていては、とても日本のサービスを海外展開しようとしても太刀打ち出来ないだろう。その点においては外国語を獲得することも現時点では重要である。
インターネットは言語によって未だ隔絶されている。そうではなく様々なネット上の知識をフルに利用することによる無限の可能性を利用しようではありませんか。本書でオープン化の重要性だけではなく言語の重要性と海外の流れを感じることの重要性、そして自分を磨くための努力を怠らないことを再認識した。