インターネットが死ぬ日

インターネットが死ぬ日 (ハヤカワ新書juice)

インターネットが死ぬ日 (ハヤカワ新書juice)

この本ほど「訳者のあとがき」が本の要約となっている本はないのではないか?と思うほど,本当によくまとめられている。
この本ではインターネットの歴史を再度見直し,どのようにしてインターネットが拡大してきたのかを捉え直すとそこに浮かび上がるキーワードは「生み出す力」だ。その「生み出す力」が失われようとしている。その意味において本書のタイトルの一部「インターネットが死ぬ」という言葉が生まれたのだろう。パソコンやインターネットの世界の知識が乏しい人が大量に入り込み,それを狙うウイルスの発生等によりセキュリティが強化された機器,システムが増加した。それは「生み出す力」を制限するエンドユーザーからの権限の剥奪の始まりだ。つまり,エンドユーザーの使用,利用の有無に関わらず1権力(企業,国家)が情報を制御,統制することが出来る仕組みだ。
また,WEB2.0として様々なコミュニティサイトが立ち上がり,所謂CGMを各社が重要視することでエンドユーザーが情報を次々と発信するようになった。情報を発信させることでサイトを成功させようとする企業,情報を発信したい個人の意向がマッチし,その流れは加速した。そこで発生し始めたのが個人情報が次々とアップロードされプライバシーの侵害が多発し始めたことだ。本書では若い人ほど自分の個人情報をウェブ上にアップロードしたがると言いつつ,それを注意する親の立場を養護しつつもタダの取り越し苦労に過ぎないのかもしれないという,著者自信の立ち位置を固定出来ていない状況ではあるが,それを踏まえ著者はアップロードした個人情報を本人がどこまで制御出来るようにするかを本人が選択,設定出来るようにするべきではないかという考えに至っているのである。
「生み出す力」を制限する情報統制について「インターネットが死ぬ」という表現は行き過ぎていると感じているが,この力が今後も強まり完全な統制社会となるのならば,「死ぬ」ということになるだろう。ただ,インターネットの世界に通じている人しか存在しないということも,インターネットを成長させるとは思えない。やはり,インターネットに詳しくない人が入ることより,これまでの技術面での「生み出す力」だけではなく,知識の「生み出す力」が強まることを重要視すべきではないだろうか。ある程度の統制は必要悪と呼んでよいかはわからないが,さらなるインターネットの強化に必要だと考えて良いのではないかと考えている。
物理的,ソフトウェア,知識。それぞれで「生み出す力」を強化するにはどのようにすれば良いのか。本書ではコミュニティの重要性について触れられている。コミュニティの力をうまく利用することで「生み出す力」を発生させるスキームを考えるべきであるということが書かれている。
さて,「生み出す力」を強化するには他にどのような工夫をすればよいだろうか。それを皆で考えながらサービス提供をする必要があるのではないだろうか。
インターネットが死ぬ日 (ハヤカワ新書juice)

インターネットが死ぬ日 (ハヤカワ新書juice)