トリアージ

先週末頃から盛んに話題になっているトリアージ。色んなブログをちょこちょこ読ませていただいていますが,「かわいそう」だと思う心に対する批判。医療ではなく他業界にて使われるトリアージとの混同,「トリアージ」を授業で説明した人に対する批判や罵り,主張が首尾一貫としていないといった議論そのものに対する酷評。そんなものが沢山出てきた。
でも私は,その女学生が「かわいそう」だと言ってくれた事を評価したい。将来良い福祉士となるのではないか。そんなことを考えてしまった。
トリアージ」は「人材・資源の制約の著しい災害医療において、最善の救命効果を得るために、多数の傷病者を重症度と緊急性によって分別し、治療の優先度を決定すること。」(Wikipedia)なのだが,医者が自分の存在を否定しなければならないという苦渋の選択だろう。精神的なモノを全て排除し,ヒトという生理的な物体として判別しなければならないという状況。もちろん医療現場なので生理的な側面から,一人30秒以内で判断され,所謂「黒タグ」が付されることもあるだろうが,それは積極的ではない。また,1回の判断により決定するのではなく,何度も見直されるべきモノだとされている。そして「黒タグ」がつけられる生理的現象は非常に狭く,多くは赤,黄,緑のタグで済まされてしまうものだ。「死んでいない」のに「助けない」という一言で片付けられるような,そんな生やさしいモノではないし,そんな言い方をするから「かわいそう」という言葉がぽつんと出てくるのだろう。
女学生が感想として「かわいそう」だと言ったのは仕方がない。講義中の話がちゃんと伝わっていなかったのかもしれないが,何よりその極限な状態を言葉で理解することはできず,想像することが出来なかったのだろう。だが,そういう惨事は起きて欲しくないが,もし実際にこの女学生がそのような惨事を目の当たりにした時には「助けたい」とつぶやいて欲しいモノだ。
トリアージは救う技術。トリアージは苦渋の選択。トリアージは見捨てない。
トリアージを行うのは医者。そのほか看護師,救命士等,その他医療現場の方々の力によって現場は強く支えられる。
おそらく私はトリアージの歴史的観点を無視しているだろう。だが,現代の医療現場のトリアージという技術を思想に変えた時,そのトリアージはもはや原形をとどめていないと言っても過言ではない。そう思う次第だ。