共有としてのテレビと個人としてのパソコンのメモ

テレビは家族など複数で見るものとなっている。したがって、パソコンが複数人で見るものとならない限り、テレビが衰退することはないと思う。昨今のディスプレイの巨大化はその一役を担うことが可能だと思うが、それ以上に起動時間の短縮、静音化、そしてなによりコンテンツが必要だ。
家族皆で見たくなるような,つまり番組表が必要。そして少し興味を持たせるように簡単なあらすじが書かれている必要がある。番組も途中からではなく、最初から。そしてニュースの場合は特にリアル間が必要。今生放送で、途中で緊急速報が入るような。既に出来上がった番組が淡々と流れるようでは、リアルさに欠ける。
一人暮らしが増加すれば,それはテレビを衰退させる原因といっても過言ではないだろう。あとはテレビ以上に面白いコンテンツをネットで見れる環境づくり。個人などアマチュアという言葉が当てはまるかどうかはわからないが、そういった個人の作るコンテンツがインターネットに流れることによってテレビから、さらにインターネットの世界に人が流れる。
次にインターネットの中でひたすら探すのではなく、ある程度コンテンツがまとまって一つのサイト内にあること。そして子供の場合は特にそうだが、人と共通の話題ができることも重要で、インターネットの場合は特にいつでも見れるという感覚が重要だ。だが友人との会話でネタばれされることは大いに嫌う。したがって一定のペースでネット上に公開していく必要がある。
一時期話題になったGyaoなんかは、なかなかいい線をついているけれども、時代を先走りすぎたのかな。まだパソコンは家族全員で楽しむものではなくて、個人で楽しむものになっている。ニコニコ動画なんかはその典型だろう。
個人の道具だからメッセンジャーがあり、誰かが面白いものを見つければ、それを友達に教えるという行動が起こる。他の人がまだ発見していないというステータスも魅力的だが、いくら皆が見ていても自分が本当に面白いと思えればそれでよいという個人主義的な考え方でもいい。

広告という観点から見れば,番組表を見て面白そうだと感じ,実際に面白いと思って熱中してみている間に挟まるテレビの広告,そしていつ番組が再開されるかと待ち望んでいる間にぼーっと見ているテレビの広告と広告があることを気づこうと気づくまいと読みたい文章が全てさらけ出されているウェブサイトの端に載っている広告。たぶんウェブサイトに動画広告が載ったとしても,テキストとその広告の効果はあまり変わらないのではないか。口コミを利用したユニークな動画でない限り。広告そのものがメインのコンテンツとしてブログで1記事になるくらい。個人的にはウェブサイトの広告はあまり効果がないのではないかと思っているんだ。。。というメモ