犯罪被害者等基本計画

この文章を書くにあたり,まず自分の立場を表明したい。
被害者の匿名について,自分は賛成だと思っている。

賛否両論あり,様々なブログでこの話題が触れられているので
法律の詳細はそちらに譲りたい。
まず 賛成だと思っている理由として,近々の幼女殺人事件に対する報道の仕方をめぐり
家族側から「報道の自粛」を求める声明が出されていること。
参照

同様に佐世保の事件においても,同様の報道(参考)がなされていることから想像するに
被害者に対して,または被害者周辺に対し 生活が害されるほどの報道,取材が
行われていると推測される。

本法律に反対する意見として,活発に議論されている部分は実名 匿名の部分だけである。
この法律の中身を 見てみると

第二章 基本的施策

・相談及び情報の提供等
・損害賠償の請求についての援助等
・給付金の支給に係る制度の充実等
・保健医療サービス及び福祉サービスの提供
・安全の確保
・居住の安定
・雇用の安定
・刑事に関する手続への参加の機会を拡充するための制度の整備等
・保護、捜査、公判等の過程における配慮等
・国民の理解の増進
・調査研究の推進等
・民間の団体に対する援助
・意見の反映及び透明性の確保

参照URL

この第二章に詳細が書かれている。
おそらく実名,匿名と揺れている部分は この中の
「刑事に関する手続への参加の機会を拡充するための制度の整備等」と
「保護、捜査、公判等の過程における配慮等」の部分であろう。

本法律に反対する側の意見として,毎日新聞の内容を引用すると

匿名発表では、被害者やその周辺取材が困難になり、警察に都合の悪いことが隠される恐れもある。私たちは、正確で客観的な取材、検証、報道で、国民の知る権利に応えるという使命を果たすため、被害者の発表は実名でなければならないと考える。

実名発表は直ちに実名報道を意味しない。私たちは、被害者への配慮を優先に実名報道か匿名報道かを自律的に判断し、その結果生じる責任は正面から引き受ける。私たちはこれまで、被害者名発表に関する項目に異議を唱えて改善を求めてきたが、それは被害者対策と国民の知る権利という、いずれも大切な公益をいたずらに対立させるのではなく、調和させる道があると信じたからである。私たちの再三の求めがいれられなかったのは極めて残念で、改めて遺憾の意を表明する。

参照URL

このように書かれている。
問題点として挙げられている中の一つに
「警察に都合の悪いことが隠される恐れもある」という文句がある。
これは自分自身 信じたくない話ではあるが,可能性は0ではない。
ごもっともな意見だ。 よく分かる。

一方,「実名発表は直ちに実名報道を意味しない」という文句。
これはやや引っかかる部分がある。
現実に,報道の早さが求められ かつマスコミも会社同士の競争が激しいように思われるので
どこがいち早く 取り上げて報道するかが求められているだろう。
もし,そうならば実名発表=実名報道にならざるを得ないのではないだろうか。

今まで,自律的な判断をしたことがあったのだろうか。
文面から推測するに,“要請があった場合は,自律的な判断をするように努める”と
読めなくもない。

次に,「その結果生じる責任」とはどのようなものを想定しているのだろうか。
報道の影響というのは漠然としているが,例えば 「犯罪者情報が以前からあった」
という報道がされたことから,「その地域が危ない」という印象を他の人に与える影響。
他にはあるかどうかは存じないが,勤務先にも取材の電話がかかってきて,仕事にならない。

あまり思いつかないのですが,この文句を書くにあたり どのような「責任」を想定している
のでしょうか。

一方,同じ毎日新聞に被害者からの声明も載せられている。
その中では,刑事手続き等 立法に関わることに関しては一定の評価をしているようだが

「匿名発表だと、被害者を探す周辺取材でかえってダメージが大きくなると想像する。被害者が本当に言いたいことも報道してもらえないのでは」と懸念
参照URL

とのことだ。

これを書きながら思ったことであるが,犯罪が起きた場合
発表された人物名が匿名であろうと,実名であろうと 従来どおり取材が行われることは間違いない。
だが犯罪現場や地域,犯罪加害者については明らかにされると思うので
被害者の名前が表に出るのは時間の問題のような気がする。

一部インターネットによって報道されてしまうこともあるだろうし,
法令があっても 未成年の顔写真を掲載する雑誌もあったので,書面等で報道されてしまう
こともあるような気がしてならない。
匿名で発表されるということは,被害者が匿名を望んでいることが推測されるため
報道においても,匿名が尊重されることを望むが。

再び 法令反対側の意見を見てみると,“知る権利”という言葉が出てくる。
その意見もわかるが,何か漠然としている。
というのも,どんな時にでも使えるし,何にでも応用できる万能な剣のような言葉だからだ。
もちろん“知る権利”のおかげで,自分が生活しているのは間違いない。

国民全体の“知る権利”と,犯罪被害者の匿名報道の希望。
天秤にかけるものでは全くないのだが,国民全体が知りうる情報による間主観性よりも
被害者の意志を尊重したいと思うのは 間違っているのだろうか。

一方,ただ「〜のような事件が起きました」という言葉のみの報道ではなく,
状況の詳細が図や物で示された方が,それを参考に自分の地域での防犯
(身近なもので言うのならば,「暗いから電灯を設置しよう」など)
に生かすことが出来ることも事実である。

文章の前半で賛成といいながら,後半部分で反対意見を述べるという
汚い文章になってしまったが,やはり被害者の意志を最も重視すべきだと
思ってしまう。