新聞再生―コミュニティからの挑戦

新聞再生―コミュニティからの挑戦 (平凡社新書)
畑仲 哲雄
平凡社
売り上げランキング: 35609
おすすめ度の平均: 3.5
2 カギが見当たらない
4 ビジネスではなく「営み」として新聞を再考
5 ジャーナリズムの逆襲

新聞の未来を危ぶむ声は以前より多い。そんななか出版されている本書「新聞再生―コミュニティからの挑戦」は,そんな言論に反駁するもののようだ。。。本書では廃刊となった新聞を再生する動きと,その手法に可能性を見いだし,また新聞の歴史から捉えた新聞の意味,意義を再定義するものだ。
新聞再生の動きは,読者参加型の新聞というメディアを構築することにあるが,本当にこの動きで再生を考えるのならば,やはり新聞の未来は暗いものにしかならないのではないかと思ってしまう。読者参加型はインターネット上でとてももてはやされている。新聞再生で利用する動きの方がインターネット上の動きよりも早かったのかもしれないが,インターネットの方が読者参加型,コミュニティ形成には向いていると思われる。読者が何か投稿した場合,そのフィードバックが早ければ早いほどファンは増える。もちろん内容の精査はどちらも行われるという点では一緒だ。フィードバックの点では新聞よりインターネットの方が有利だ。それに,大手の新聞も読者からの投稿を載せている。ただし投稿される内容は事件などを報道する記事ではない。その点だけが異なるのではないか。
また新聞の歴史であった社会空間としての新聞というメディアに関しても,新聞という紙が無くなることで廃れるわけではない。新聞で報道されたニュースはインターネット上で話題となり,ブックマークされ,さらに各ブログ等で取り上げられたりする。
各新聞社は全ての記事をインターネット上にアップしているわけではない。ただ,アップしないことで他者にアクセスを奪われる事は望まないはずだ。と考えれば,インターネット上にアップされない記事はそれほど気にする必要はない。
個人的には新聞という紙が無くなる可能性は多いにあると思うが,やはり事件や事故,政治的な内容を発信するという点は個人に行えるものではないし,ましては働いている人が積極的に行動したり調査を行うには時間的にも,物理的にも行うことが出来ない。メディアが無くなることはないが,紙面を失えば固定化されている収益は失われる。結局その点が新聞業界の悩み種となっているのだ。その点を論じていかなければ,コミュニティの力だけでの再生を考えても未来は見えてこないのではないかと思う。

p.s.
新聞は時としてテレビニュースが基礎となっているのでは?と思ってしまうことがある。テレビで基礎的な知識を持っているという前提で記事が書かれているのか?と感じてしまうことも。