明日の広告 変化した消費者とコミュニケーションする方法

広告の量がうなぎ登りに増えている。特にインターネットという世界が出来てから,気軽に出稿できる機会も増え,大手企業ではなくても広告を出稿することが出来るようになった。広告を出せば必ず売り上げに反映するという世界は既に存在していないが,そんな世界だからこそ広告の出し方,どのような広告手段やデザイン,インパクトを考えなければならない。対象となる母集団はどのような属性,性質,何に興味を持っているのか。ただし,その前提が間違っていれば完全に思惑が外れ,広告を出稿する意味が全くなくなってしまう。その前提となっているものは,固定観念なのか,統計的な裏付けがあるのか,実際に調査されたことはあるのか。それを事前に行っていなければ出稿するだけ無駄になる。また,広告がただのInformationとなっていないか。Informationならば必要,不必要の判断がシビアに行われ,下手をすれば見向きもされないと言うことになりかねない。
著者はラブレターに例えて広告の話をしているため,読んでいる側にとってもわかりやすい例えとなっていると思われるが,個人的にはラブレターというものが逆にマイナスの観念を持ってしまうのではないかと思っている。広告がインターネット上で一つのコンテンツとなることが最も大事なのではないかと昨今考えているからだ。広告というのは企業が個人や他企業に向けて発信するものだが,広告が常に宣伝したい側と受け手の2者間でのみ成立するものだけでは,全くもって不十分だ。その広告が面白いと感じる,または広告の出ている商品を別のものと組み合わせればもっと効果的であるとか,紹介されているより別の利用法を発見したなどがあることによって,使用者からさらに別の人へアピールするという,所謂バイラルマーケティングであるのだが,一つの広告,それ自体がインターネット上のブログなどの一つのコンテンツとして成立していくこと。そこまで見越して作成することが重要である。
企業という立場上,他企業が提供するツールやウェブサービスと組み合わせて利用することを推奨することは非常に難しいだろう。そういう場合は,ほのめかしてあげることも可能だろうし,或いは開発者ブログのような,企業と関係はあるけれども少し緩やかに動画などを利用しながら紹介することも出来る。そんな手段を選択することも重要なのではないだろうか。
ラブレターは他者に見せびらかすものではない。しかし,広告はそれ以上に友人,知人に見せびらかしたくなる効果がある。日本の広告は有名人ばかり起用するため,その有名人が好きか嫌いかで友達に教えてあげるか否かの判断がされてしまう可能性がある。友人がその有名人が嫌いであることを知っていれば,教える事もしないかもしれない。広告の商品自体が面白い,興味深い,有用的であると判断されれば,人物の好き嫌いを超えた部分で口コミが広がるだろう。ただ,広告自体にインパクトがなく,まず人物という壁を乗り越えなければならないとき,それは商品自体の力に任さざるを得ず,その時点で口コミを利用する方法は制限されるのではないだろうか。
より面白い宣伝。インパクトのある宣伝がそろそろ日本でも行われるべきだろう。

明日の広告 変化した消費者とコミュニケーションする方法 (アスキー新書 045) (アスキー新書 45)
佐藤 尚之
アスキー
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5 広告はラブレターという発想
4 電通あなどりがたし
5 広告業界人やそれを志す人たちだけでなく、より良きコミュニケーションを望む人に
4 あ、そういえば見たかも・・・スラムダンクの広告を思い出した
4 広告業界で稀有な人