14日

昨日は久しぶりに献血に行った。
いつも読書をしたい時は献血に行ったりするんです。成分献血で1時間まったりして帰るんですが、今日は時間が早いということもあり、血小板も対象になりました。読んでいた本に、なかなか熱中できず、途中で眠たくなったりキョロキョロしてみたり。
キョロキョロして看護師と目が合うと、何かを訴えているように見えたのか「痛くないですか?」なんて聞きにきてくれたりしました。非常に時間がゆっくりと進んでいたような感覚です。献血ではいつも、まずテレビを消します。今回もそうなのですが、眠くなってもテレビをつけようとは思いませんでした。。。

夜は映画「カポーティ」を見ました。
カポーティという人物のことは、全く知りませんでした。。。Wikipediaで事前に予習。
すごいというか、なんというか。言葉には出来ないけれども、カポーティ自身の苦悩がよく描かれている作品だと思います。

ある一つの事件に関して、カポーティは“ノンフィクション小説”を書こうと思う。そこから話は始まる。
自分の作品を完成させたいという思い、そのため現在進行中の一つの事件を追って走り回る。事件の犯人との接触。そして犯人から事件の一部始終を聞きだし、本に書きたいと願うカポーティ
それに対し、犯人はカポーティに話せば死刑を免れるよう取り繕ってくれると期待する。それは一度、カポーティが犯人に対し、正当な裁判をするようにとのことで弁護士を紹介したことがあったからだ。
犯人とカポーティは、お互いの幼少時代を話すことによって打ち解けた。カポーティは本を書くために、それは必要だった。

だが、話の詳細を聞いたカポーティにとって、次なる目的は事件の解決だった。その事件がどのように幕を閉じるのか。そこだけが重要となった。しかし、その幕とは、犯人の死刑という結末だった。お互いの幼少時代を語り合って以来、犯人はカポーティを友人だと信じ込んでいた。一方、カポーティにとっては本を書くために近づく必要があっただけだ。このすれ違いがどんどん大きくなっていく。
カポーティは犯人の死刑を望みながらも、友人として望んでいない部分があった。
死刑執行の数分前、カポーティは小説家としてではなく、友人として犯人と向き合う。涙がこぼれ、友人として死刑執行の瞬間を見守る。そして打ちひしがれる。
小説家としての名声をとるか、犯人に対する愛情をとるか。
死刑執行の後、犯人がカポーティ肖像画を描いていることを知る。おそらく、カポーティは、そこまで犯人が自分のことを思ってくれたとは考えていなかったのだろう。そして彼は、そこで初めて気づくのだ。