地道な努力って何だろう

「地道な努力」よりも、はるかに人生を好転させる努力の仕方

言いたい主張はわかるし、確かにそのとおりだと思う箇所もある。でも、「地道な努力」というものの対象がよくわからないので議論のしようもないかな。読んでいると「地道な努力」とは、"定石と言われているやり方"、かつ"端から見て効率の悪いと思われるもの"を複合したものらしい。ただfromdusktildawn氏が言うように近道は沢山転がっているだろうし、それを発見する能力が必要だと思う。ただし、fromdusktildawn氏の主張で、「ハゲタカエンジニア」の例はよく理解が出来ない。もちろん「ハゲタカエンジニア」が持っている技術によって短時間で利益が出せたということはわかる。しかしこの例は短時間で利益を出す方法は、そこらじゅうに転がっているのかもしれない?という事しか意味をなさないのではないか?この例の中で主張されている「地道な努力」とは何かがわからない。むしろ、「ハゲタカエンジニア」が技術、そして判断する目を持っていた事が価値を生み、「普通のエンジニア」と呼ばれている人にはその力が無かったことが問題だ。「ハゲタカエンジニア」が技術を身につけるには、「普通のエンジニア」とは違う方法で勉強をしたのかもしれないし、同じ方法で勉強したが、その後の経験によって差がついたのかもしれない。そこは判断できないが、技術の身に付け方に関しては「努力」が必要だということは納得されるだろう。ただ、その「努力」の仕方が「近道」なのか「遠回り」なのかの違いだ。しかし、自分の進んでいる道がどちらなのか、はたまた中間に当たるのかは、既にその分野の道を通った人にしかわからないものなのだろう。「〜という方法を使って、自分は何時間勉強し、こんな技術を身につけた」という言い方をされたところで、全くの参考にもならないし比較することもできない。また、この箇所は「ハゲタカ的努力」の対比として「地道な努力」が書かれている点でも、主張がよくわからない部分である。
次の例にある「ハゲタカプロデューサ」に関しても、「「地道な努力」教の信者」が定石と言われているユーザビリティなどの方法で成果が上がっていないことを知りながら、その状況の検討、ユーザ調査などを行っていないことが問題であり、「ハゲタカプロデューサ」は検討、調査を行わなくても、コンテンツの弱点を見抜く力があったという事が問題だ。「ハゲタカエンジニア」と以下同文。。。
まぁ、fromdusktildawn氏の主張には賛同するが、そこに示されている例によって、主張の目的、意図が全く読み取れなくなってしまっている。「ハゲタカエンジニア」にしても「ハゲタカプロデューサ」にしても、「努力」の結果が他の人と違うというだけであって、何を示すのか全くわからないが「地道な努力」の結果なのかもしれない。会社の幹部人間で、かつ短時間で金を生み出すという結果を求めて、「普通のエンジニア」や「「地道な努力」教の信者」を採用するのではなく、「ハゲタカエンジニア」や「ハゲタカプロデューサ」を起用するということは、「近道」であるだろう。ただ、その場合でも会社の社員等を不幸にさせる「普通のエンジニア」や「「地道な努力」教の信者」をそのプロジェクトに採用したまま放置している事は問題だ。

書く人の立場によって、前提としているもの、行間の読み方は異なってくると思う。ただ、学問はなるべく効率的に学べるように体系付けられたものだと思っている。しかしその体系は複数あって、学校教育においては選ばれている体系をそのまま受け入れざるを得ない。だが、学校教育を離れる、または大学の研究のように自分で選択する余地が十分にある立場においては、その複数ある体系から選択し、採用することが出来るのだ。私自身、インターネットというものを手に入れて、ある意味インターネットが外部記憶のように、わからないものは検索することで解決が出来、そしてその効果によって、専門知識が短時間で習得することが出来るのではないか?という幻想を抱いてきた。
しかし、最近は自分にとっての「近道」を探し、その「近道」となる方法を「地道に努力」し、歩むべきだと感じるのである。